【雨の中の慾情】

 


 片山慎三監督の『雨の中の慾情』は、映画のラビリンスを勢いよく駆け巡るのが快感である。冒頭、ザーザーの雨の中、田舎道のおんぼろバス停に女が立っていると。そこへ男が駆け込み、雷鳴がして、あれよあれよと言うまに男が女を犯して、果ては男女とも愛の光に包まれる。あっと言う間の発端だ。漫画家の義男(成田凌)と友人の伊守(森田剛)、そして大家(竹中直人)と美女(中村映里子)らで物語が始まると、またあれよあれよという間に別の物語に突入していく。

 虚実を手玉に取る映画の達人は今までもいろいろ登場してきたが、片山監督は、思わせぶりが一切なく、タッタカ、タッタカ進んでいくのがいい。ここは戦後の東京か、と思えば北と南の町のあいだには国境のようなものがあるし、異国の言葉が不意に出て来たりする。この感じ、たとえば歌舞伎の「東海道四谷怪談」、たとえば中国の話を元にした能の「邯鄲(かんたん)」。戸板をひっくりかえすと幽霊が出て来たり、栄耀栄華を極めたと思ったら、春と秋が急に入れ替わり、主人公が世の無常を感じたり。

 だんだん義男のいる世界が『カリガリ博士』に似たものに見えてくる。

 主人公が時間軸を往ったり来たりするのは、他の映画にも用いられる手法だが、その場合はたいていどこが出発点か振り返ればわかるようになっている。

 ところがこの映画はその出発点をポーンとはずして作られている。地面に足をつけないのだ。これは相当難しい技だが、片山監督は涼しい顔して進んでいく。確信犯的常道破り。それがあっぱれ不思議な疾走感を生み出している原因なのだと思う。


  田中千世子  



「雨の中の慾情」公式サイト:https://www.culture-pub.jp/amenonakanoyokujo/

 

2024年11月26日