【トテチータ・チキチータ】



 福島からのメッセージが、映画になってとどいた。福島県内の各地の特徴を示す美しい風景の映像と、みんな明るく元気で今までのように普通に生活しています、という思いが込められている。

 それが、最新作「トテチータ・チキチータ」のはずである。だが、不可思議な印象がする。とても哀しく深い感情が、想定外の残響となって残る。表側は、軽やかで明朗なだけに見えるのに、映像の底には、冥い思いが基層を造って沈んでいる。裏側に、もう一つのメッセージがひそんでいるのだろうか。なぜだろう。

 物語は、東京から震災と原発事故後の福島県白河市に、小学5年生の少女が、父親と引っ越して来ることからはじまる。それは、老婦人の魂を救うためだった。その女性は、第二次世界大戦でのアメリカ軍爆撃機の焼夷弾空襲で、家族と死に別れていた。いま孤独なまま、彼岸へ旅立とうとしていた。少女は、前世では父や兄だった、という人達をも招きあつめた。そして、現世の福島で、家族の絆を再生しようと試みたが・・・・。

 主人公の少女は、奄美・沖縄のユタやトカラ列島の神女ネーシ、東京都青ケ島のミコのようなシャーマンだった。しかも、きわめて高度な特殊能力の持ち主である。シャーマンとは、現世であるこちら側の此岸と、あの世である向こう側の彼岸との、交渉能力の持ち主をいう。この映画の古勝敦監督も、奄美諸島の出身と聞く。

 ところが、前世と現世との絆で結ばれた永遠の家族には、現実の日本社会に居場所がなかった。社会の隅々まで、規則や制度に縛られ、リアリズムに満ちあふれていた。善意と嫉妬は、二人三脚でやってくる。善意という旗印をかかげた周囲の人々の過剰な干渉によって、永遠の家族の絆は分断されようとしていた。しかも高級シャーマンである少女も、福島でも東京と同じように、冷淡に扱われ、虚言癖の問題児で片づけられようとしていた。家族の危機だった。

 そのとき、家族の守護神のトテチータが、天空から現れるーー。

 利益最優先の文明を志向するヤマト社会では、精神的価値を基軸とする文化が、いかに無力で儚い存在であるかを描いている。

 竹内 海四郎(法政大学沖縄文化研究所国内研究員)

トテチータ・チキチータ公式サイト
・3月10公開

 

2012年03月23日