
本が売れない時代になった。
世間で出版不況と言われて久しい。
かつては電車内で本を読んでいる人がけっこういたが、今はまったく見かけない。
読書人口の減少は出版業界にとって深刻な問題である。
大ヒット作があり、そこそこ売れる本があれば、さほど売れない本があっても、全体としてなんとかバランスが取れていた。
が、今は売れるのはごく一部のベストセラーのみ。
となると、大手出版社は必ず売れる本だけを出そうとする。
ベストセラー作家を取り込み、新作の出版権を獲得するのが手っ取り早い。
話題作りのために様々な企画を立て、大々的な宣伝活動を行う。出版はビジネスなのだ。
どこの国の出版事情も似たようなものであろうか。
『9人の翻訳家』はフランスが舞台である。
大作家オスカル・ブラックの小説『デダリュス』は第一部、第二部が世界的なベストセラーとなり、世界各国に翻訳されて売り出された。
今まさに世界中で待ち望まれた第三部『死にたくなかった男』が書き上げられたのだ。
小さな出版社を最大手に発展させたやり手の社長アングストロームはこの完結編の出版権を手に入れ、世界同時発売を宣言する。
この本が世に出れば、巨万の富がアングストローム社に流れ込む。
世界九か国からパリに集まった翻訳家たち。
英語、ロシア語、イタリア語、ドイツ語、デンマーク語、スペイン語、中国語、ポルトガル語、ギリシャ語。それぞれ個性的。
残念ながら日本語の翻訳家はいない。
彼らは郊外にある貴族の館を思わせる豪華な屋敷に案内され、携帯電話や自分のパソコンは取り上げられて、二か月の間、地下シェルターに閉じ込められ、外部との接触を断つ。
快適とはいえないまでも、プールもあり、豪華な食事、それに貴重な書物の並ぶ図書室も。
とはいえ、彼らを監視する警備員は見るからに暴力団の用心棒か傭兵のよう。
社長は『死にたくなかった男』のすべては見せず、翻訳は小出しで一日に二十ページのみ。
そんな中で事件が起きるのだ。社長に届いたメール。
五百万ユーロを支払え。
払わなければオスカル・ブラックの『デダリュス』第三部を出版前にインターネットで無料公開する。
厳密に保管された原稿。
犯人は九人の翻訳家のうちのだれか。あるいは……。
小説『デダリュス』はミステリーだが、この映画そのものもミステリー仕立てになっており、これ以上のあらすじを語ると、二転三転する物語の楽しみを奪うことになる。
そしてもうひとつ、この物語の背後に潜むテーマ。
芸術としての文学と、ビジネスとしての出版の対立。
このバランスがうまく保たれていると幸福なのだが、いったん崩れると。
紙の本が売れない時代に新作をインターネットで無料公開されたら、出版界にとっては大きな危機となる。
これは本だけの問題ではない。インターネットでしか映画を観ない人々が増え、無料の海賊版がネットで流れたら、映画館は成り立たなくなる。
芸術とビジネスとの関係は、映像作品と興行の世界にも通じる話である。
映画『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』公式サイト
飯島一次