◆ ケララ国際映画祭報告 野島孝一


 昨年暮れに日本映画ペンクラブが加盟する国際映画批評家連盟(FIPRECSI)の審査員として、インドのケララ国際映画祭に行った。インターナショナル・コンペティションの作品14本の中から連盟賞を1本選ぶのが主な仕事だった。私のほかの審査員はイギリスのデレク・マルコムとインドの女性教授ルイタ・デッタだ。インドには1994年に熊井啓監督の「深い河」の撮影を取材にいったことがあった。そのときはちょうどペストが流行して大変な騒ぎ。他社も行く予定だったのが、1社、また1社と抜け、最後には配給の東宝まで抜けてしまった。そのときにはデリー、バナレス、ボンベイ(今のムンバイ)と回った。今回のケララはインドの南西部の最南端にある。首都はトリヴァンドラム。実はそれは略称なのだが、正式名は難しくて発音できない。ここの住民は識字率が高く、殺人はインドで一番少ないという。北のインド人より色が黒く、背が低い。しかし大変人がよく、親切だ。ケララ大学ではガンジーも学んだという。ここではG・アラヴィンダン監督が活躍していた。

 さて映画祭の初日。われわれ審査員はインターナショナル・コンペの劇場に着いた。入口は黒山の人だかり。ようやく押し分けて入ると、すでに審査員席は観客に占領され、座る隙間もない。しょうがないからホテルに引き上げた。次の作品。今度は座れた。しかし、われわれの後から観客がどっと詰めかけ、通路に座り込む。これで火事でも起きたら死ぬことは確実。しかも拍手や歓声でやかましくてしょうがない。主催者は別の試写室を用意してくれた。そこへ連日、通うことになる。どこへ行くにも車が用意され、ホテル―試写―パーティーの繰り返しだった。

 14本のインターナショナル・コンペで連盟賞を受賞したのは、アルゼンチンのイヴァン・バスコフ監督「ERRATA」だった。25歳という若い監督のこの作品はモノクロ。カメラマンの主人公の恋人が突然、失踪。その妹という若い女性が現れる。タイトルは英語の誤植という意味。貴重な本をめぐるだましあいのなぞめいた展開。非常にスタイリッシュな映像が特徴の映画だ。日本映画は中野量太監督の「チチを撮りに」がコンペ作品。中野監督も来た。審査員の評判が高かったものだから、フェイスブックに「受賞の可能性あり」と書いたが、残念ながら選ばれなかった。中野監督には悪いことをした。

 この街の道路は狭く、オート・リキシャ、バス、車、バイクなどでごった返している。車に乗っていると警笛を鳴らしっぱなしで、まるでサーカスのように走り抜ける。生きた心地もしない。一度、海岸に行く機会があった。ハワイのような美しい海岸で、飲んだビールがうまかった。食事はカレー料理ばかりでうんざりしたが。

 映画祭には韓国のキム・ギドク監督も来ていて、大変な人気だった。「メビウス」という新作が上映されていた。スペインのカルロス・サウラ監督も来ていた。

 さて、行くときはシンガポール経由だったが、帰りは飛行機が満席で、ドバイ回り。ずいぶん遠回りだと思ったが、そうでもない。ドバイはかなり北にあり、中国の北を横断して飛ぶからけっこう速いのだ。しかし、授賞式が終わって寝る間もなくケララの空港へ行き、羽田に着いたのが夜中の12時過ぎ。タクシーを使わざるを得ず、ずいぶん高くついた。

野島孝一

2014年02月10日