イザベル・ダネル会長(中央)の挨拶、並んでいるのは今年の審査員。
7月1日から7月9日(現地時間)までの10日間、第56回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭が開催された。
チェコ共和国の西、ドイツとの国境近くに位置するカルロヴィ・ヴァリは、首都プラハから車で90分ほどの距離にある。
飲料としての“温泉”が湧き出ることでも知られる、チェコの観光地だ。
映画祭の歴史は長く、第二次世界大戦後の1946年に第1回を開催。
これは<世界三大映画祭>のひとつであるベルリン国際映画祭よりも長く(第1回は1951年)、カンヌ国際映画祭と同年に始まったという経緯まである。
歴史ある映画祭たる由縁だ。
今年は全世界から応募のあった約1500本の作品の中から、12本をコンペティション作品に選出。
うち9本が長編3本目以内の新人監督による作品だった。
そして、日本映画が選出されたことでも話題に。
それが、2003年から森田芳光監督をはじめ、行定勲監督、白石和彌監督のもとで助監督を経験してきた工藤将亮監督による『遠いところ』(22)。
英語題を『A Far Shore』とするこの映画は、沖縄市の胡坐を舞台に、幼い息子と夫との3人暮らしをする17歳のアオイ(花瀬琴音)が、社会の過酷な現実に直面する姿を描いた作品。
工藤将亮監督にとっては『アイムクレイジー』(19)、『未曾有』(21)に続く長編3作目となる。
世界初お披露目となるワールドプレミア上映の当日(現地時間7月6日)は、工藤将亮監督、主演の花瀬琴音、親友役の石田夢実、夫役の佐久間祥朗、作品関係者が歓声に包まれながらレッドカーペット踏んだ。
メイン会場での上映は、1250席分のチケットが事前に完売。
作品に対する注目度を物語る。
また、20時からの上映というタイミングにも関わらず、2階席まで観客が埋め尽くすという壮観な光景が広がった。
花瀬琴音は「『遠いところ』と同じような問題を扱ったチェコ映画が日本で上映されたとしても、1200席が埋まるなんてことは考えにくい。
映画に対する姿勢が違うんだなと実感しました」と語っていた。
エンドロールが始まると拍手喝采の嵐が巻き起こり、上映後も約8分間に渡るスタンディングオベーションで熱狂的に迎えられた。
映画祭のスタッフによると、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でスタンディングオベーションが起こるのはとても珍しいことで、驚きを隠せない様子だった。
工藤将亮監督は「自分たちが触れたことのないもの、知らないことに対する興味や喜びが凄いですよね」と振り返り、石田夢実は「観客のリアクションに驚いて、映画と観客が一体になっていると感じました」、佐久間祥朗は「根本的に映画の楽しみ方が全然違う」と上映に対する感想を述べている。
上映されて以降は、キャストたちが街を歩いていると市民から声をかけられる姿を目にするようになり、「あなたは美しい強い女性ですね」との言葉を、花瀬琴音に伝える人々を散見するようにもなった。
作品選定にあたったカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭アーティスティック・ディレクターのカレル・オフ氏は、第29回東京国際映画祭で日本映画スプラッシュ部門の審査員を務めた経験のある日本とも縁がある人物。
『遠いところ』に対しては「この映画で起こっていることは、どの国でも起こりうる問題。
わたしたちが知る美しい沖縄とは異なる過酷な現実に衝撃を受けた」と評している。カレル氏が東京国際映画祭で審査員を務めた時、同じ沖縄を舞台にした新藤風監督の『島々清しゃ』(16)を観たのだという。
だからこそ、自然の美しさだけではない沖縄の別の側面を『遠いところ』によって知ること、そして上映することには大きな意義があるとも語っていた。
カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭のメインコンペティション「クリスタル・グローブ・コンペティション部門」に日本映画が選出されたのは、高橋恵子主演の『カミハテ商店』(12)以来、実に10年ぶりのこと。
最高賞にあたるクリスタル・グローブ賞は、1958年に家城巳代治監督の『異母兄弟』(57)が輝いているが、それ以降は受賞の機会がない。
そのため、『遠いとこと』による64年ぶりの快挙にも期待がかかった。
残念ながら受賞は果たせなかったが、主演の花瀬琴音は「同じような問題がどの国にもあるからなのだと思うのですが、国が違うはずなのに共感して同じ目線で見てくださった。
それがとても嬉しかった」と述懐した。
映画祭を訪れた監督やキャスト、作品関係者たちにとって、チェコという国は日本から“遠いところ”。
だが、チェコの人々にとっても『遠いところ』で描かれている世界は、日本という“遠いところ”の物語でしかない。
それでも『遠いところ』の描く、格差・貧困・暴力といった社会問題が、自分たちの人生や暮らしと地続きなものであり、単なる“遠いところ”の問題でないと感じさせ、共感を得ながら、作品が熱狂的に受け入れられた功績は大きい。
ちなみに今会期中には『遠いとこと』のほかにも、早川千絵監督の『PLAN75』(22)や三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』(22)といった日本映画も上映された。
第56回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭は、会期中170本の映画が上映され(計453回の上映)、12万1015枚のチケットを販売。414人の映画製作者、931人の作品関係者、530人のジャーナリストが参加した。
コロナ禍で2020年の第55回を断念せざるを得なかった(翌2021年に延期)経緯から一転、通常開催となった今回は映画祭ならではの華やかな一面もあった。
例えば、『トラフィック』(00)でアカデミー助演男優賞に輝いたベニチオ・デル・トロと、『シャイン』(96)でアカデミー主演男優賞に輝いたジェフリー・ラッシュが、芸術貢献に対するクリスタル・グローブ賞を受賞。
レッドカーペット周辺には、彼らの姿を一目見ようと多くの映画ファンが殺到した。
ちなみに、ジェフリー・ラッシュはワールドプレミアで『遠いところ』を鑑賞。
会場で工藤将亮監督へ賞賛の言葉を贈っていた。
また、作品上映の前には、映画祭が製作したショートフィルムを流すのが習わし。
トロフィーを奪いに来た強盗を返り討ちにするメル・ギブソン、タクシーの運転手に受賞部門を勘違いされて不機嫌になるジョン・マルコヴィッチなど、過去に受賞したスターたちが嬉々として本人役を自虐的に演じているという趣向も歴史ある映画祭ならではだ。
今回最高賞に輝いたのは、イランとカナダの合作『Summer with Hope』(22)。
ある事情から水泳大会に参加できなかった男性が、活動の場を求めて見つけたのは海での水泳レース。
プールと海とでは勝手が異なるため、新たなコーチと共に全国選手権を目指すという物語。
性的マイノリティが迫害されているイランで、果敢にも同性愛をテーマに盛り込んだ姿勢や繊細な描写が評価された。
そして、女性の社会進出もまた未だ困難な社会情勢下で、映画製作に取り組んだ女性監督サダフ・フルーギは「私たちは暴力と差別に満ちた世界に暮らしています。
私たちの物語が平和と静寂を導くことを願っています」とスピーチした。
(映画評論家・松崎健夫)
【出典】
56.MFF Karlovy Vary https://www.kviff.com/cs/uvod
FIAPF http://www.fiapf.org/intfilmfestivals_sites.asp